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港区に酒蔵「東京港醸造」-造り酒屋の末裔、100年ぶりに再開

創業200年の若松屋7代目・斎藤俊一さん(右)と8代目・謙希知さん。「もうけは期待していない。維持費と年収300万程度の給与が出ればいい」

創業200年の若松屋7代目・斎藤俊一さん(右)と8代目・謙希知さん。「もうけは期待していない。維持費と年収300万程度の給与が出ればいい」

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 第一京浜近くに10月8日、酒蔵「東京港醸造」(港区芝4、TEL 03-3451-2626)がグランドオープンした。運営は港区で雑貨店を経営する若松屋。

酒を仕込む8代目の斎藤謙希知さん

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 若松屋は1812年、長野から上京した初代が造り酒屋として創業。幕末のころは薩摩屋敷の御用商人として薩摩焼酎の造り酒屋として繁栄した。屋敷には「奥座敷」「裏屋敷」などと呼ばれる接待用のスペースがあり、西郷隆盛や勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟が江戸開城の密談を行ったといわれている。彼らが飲み代代わりに書き残していったという書も残っており、同社が保管する。

 その後も1890(明治23)年、4代目の斎藤茂吉が東京市酒造組合を設立するなど、酒造りに注力。しかし、酒税を戦費にしていたという日清日露戦争で経営が傾き、1910(明治43)年、酒造業を廃業。以降は物販などを家業としてきた。現在の当主は7代目・斎藤俊一さん(57)。跡継ぎを意識し始めた10年前、「大手にかなわない小売りを息子に継がせたくない」と、事業を再考。再び製造業への転換を図ることにした。

 「東京産の東京土産・名物を作り、街の活性化にもつなげたかった。それならば家業だった酒を造ろうと思った」と斎藤さん。サラリーマンだった長男の謙希知さん(28)も酒蔵復活に賛同。長野の蔵元へ1年修業に行った。とはいえ、100年ぶりとなる酒造業の再開は容易ではなかった。酒造免許を取得するのに税務署の酒税課に2年以上通い続けた。「周囲に絶対に無理だと反対された。仮に免許が下りても道楽のような商売。2000年にお台場にできた黄桜の台場醸造所でさえ2009年に閉鎖していると」。

 紆余(うよ)曲折の末、2010年7月、酒造免許を取得。杜氏(とうじ)2人と共に完成させたのは、ハイビスカスでロゼのような色を出した梅肉入りの梅リキュール「お江」(290ミリリットル=750円、720ミリリットル=1,680円)と、どぶろくの「江戸開城」(290ミリリットル=750円)の2種。10月9日・10日に行われた区民祭りで初披露された。「飲食店で使いやすいよう、『お江』は炭酸水で割って飲むことを考慮して作った」という。

 「日本酒の消費量はこの10年で半分に減り、醸造所も半数になった。都内の醸造所は13蔵。うち、稼働するのは半数で、23区には北区に1蔵あるのみ。酒造免許、特に清酒免許はまず下りないため、新規の蔵ができることはほぼ皆無」と、斎藤さん親子は酒造の難しさを顧みる。「それでも夢は清酒の醸造。難しいが挑戦していきたい」。

 販売は実店舗のみで、麻布十番の酒販店にも卸す予定。営業時間は11時~19時(土曜は17時まで)。日曜・祝日定休。

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