新橋の生き証人、創業80年の荒物雑貨店が芝へ移転-建物老朽化で

昭和の風情を残すの在りし日の高橋歳光商店。右隣は一足先に移転したおでん店「お多幸」の旧店舗。

昭和の風情を残すの在りし日の高橋歳光商店。右隣は一足先に移転したおでん店「お多幸」の旧店舗。

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 昭和初期から親子三代にわたって荒物雑貨店を営んできた高橋歳光商店(港区新橋1)が11月28日で閉店、港区芝3丁目(TEL 03-6686-8466)へ移転した。老朽化の進んだ旧店舗は今後所有者によって解体される模様。

1952年(昭和27年)の高橋歳光商店

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 同店は先代の故・高橋歳光さんが創業した日用品などを扱う荒物雑貨店。二代目が生まれた1928年(昭和3年)には営業していたとされるが、その二代目も高齢となり、正確な年度は不明だ。

 歳光さんは大正時代に長野から上京し、新橋にあった荒物雑貨店で丁稚奉公した苦労人。独立してからは宮内庁をはじめとした諸官庁の仕事を手掛けるなど、一代で成功を築いた。1967年(昭和42年)に歳光さんが亡くなり、息子の光孝さんが二代目・高橋歳光を襲名。現在は父の幼名を授かった三代目の光孝さん(41)が代表を務める。

 旧店舗の建つ土地はかつて都の所有だったという。戦後人手に渡ったあとも借り続けてきたが、老朽化で崩壊の危険が懸念され、80年以上家族の歴史を刻んだ土地に別れを告げた。新橋で代替え地を探したが価格の見合う場所が見つからず、移転先店舗は芝、住居は蒲田となった。

 地下1階、地上2階建ての新橋の店舗は住居兼で、二代目・三代目はここで生まれ育った。1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催による開発で埋め立てられるまで店の裏は外堀で、物資の輸送には船が活躍していたという。現在は「行灯部屋」となっている同店舗地下1階は当時、外堀の通路に面した「地上」。出入りするための裏玄関でもあった。

 「昔は住み込みの若い子がいつも5人くらいいてにぎやかだったと聞いている。商品のモップも作業場だった地下で組み立てていた」と二代目の妻・昌子さん(66)は懐かしそうに振り返る。昌子さん夫婦は東京オリンピックの開会式の日に結婚。店舗の2階で新婚生活を始めた。3人の子宝も皆、ここで育てた。「お多幸さんも移転したし、そろそろうちの番かとは思っていたが、いざ離れるとなると寂しいもの」。

 80年の間には、2.26事件など歴史に関するさまざまな時事も目にした。「学生運動の時代には店の前にも催涙弾の煙が充満した」と昌子さん。昭和天皇大喪の礼にも参列。5~6年前にはアイドルグループ「嵐」のメンバーが「部屋の掃除をしたいが、量販店には気に行った用具がなかった」と、プライベートで掃除用具を買いに来たことも。

 新橋の個人商店には二代目や三代目の店舗が多い。「向かいのお米屋さんも、隣のお多幸さんも家業を継いでいる。息子の世代はそういったケースが特に目立つ」(昌子さん)という。そういった幼なじみらとも離れることになるが、小・中・高の各母校すべてを廃校や統合などで見送ってきた三代目・光孝さんは「(移転は)仕方のないこと。時代の流れは受け入れて従うしかない」と感傷を断ち切る。

 営業日は月曜~金曜。土曜・日曜・祝日休業。

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