新橋ガード下「バーバーホマレ」の94歳理容師、逝去後に著書出版

新橋の母・加藤寿賀さんの著書が出版された。晩年はメディアへの露出も多く、ビートたけしさんと対談したことも

新橋の母・加藤寿賀さんの著書が出版された。晩年はメディアへの露出も多く、ビートたけしさんと対談したことも

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 今年4月に亡くなった新橋駅ガード下の理髪店「バーバーホマレ」(港区新橋3、TEL 03-3571-1294)店主・加藤寿賀さん(享年94歳)の著書「なぜ、はたらくのか」が10月27日、主婦の友社より出版された。同書は加藤さんの生前から制作が進んでいたもの。

在りし日の加藤寿賀さん

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 同店は1953(昭和28)年創業。第一京浜寄りの南側ガード下にあり、時が止まったような昭和のたたずまいが人目を引く。加藤さんは「90代の現役理容師」としてテレビや新聞などさまざまなメディアに取り上げられてきた名物女性店主。口述筆記による同書は、昨年末に体調を崩すまで店に立ち続けた加藤さんの生涯や人生観がつづられている。

 加藤さんは1915(大正4)年、京橋生まれ。7歳で関東大震災を体験、10歳で母と死別し、15歳で家出。叔母の紹介で銀座の理髪店で修業を始めた。当時女性の理容師は珍しく、店で女性は加藤さんのみ。国家試験でも合格者は加藤さんだけだったという。

 1939(昭和14)年、兄弟子だった善次さんと結婚。馬喰町に「バーバー加藤」を開店した。店は繁盛したが、同年、第二次世界大戦が開戦。1943(昭和18)年には善次さんが出征。幼い長女・次女を抱えながら店を守ったが、東京大空襲で店舗も自宅も全焼した。

 店を失った加藤さんは、府中の車両工場で委託理容師になる。終戦を迎え夫が復員。しかし戦艦での爆撃によって耳が不自由になっていた。理容師復帰は難しいとうどん店を始めることにした矢先、音が聞こえず交通事故に遭い他界。以降、加藤さんは髪を伸ばすのをやめ、生涯独身を決意した。

 実家での仮住まいや共同経営などを経て1953(昭和28)年、新橋に念願の店舗兼自宅を構えた。3坪余りの小さな「バーバーホマレ」の誕生である。37歳のときだった。東海道線の高架下。狭い2階の居住スペースはごう音がしたが、「これで親子3人1つ屋根の下で暮らせる」と加藤さんは喜んだ。

 開店資金も銀行員の常連客から融資を受けた。けがをしたときには医者だった客が無償で治療してくれたこともあったという。94歳でも30人の常連客を抱え、常連客の中には50年通い続ける人や、大阪から新幹線で駆け付ける人も。取材に来るメディアの若者もかわいがり、メディア通して反戦も訴え続けた。

 最後まで店を1人で守り、娘たちを育てた小さな住居でつつましく暮らした加藤さん。加藤さんは、著書の中で「働くということは、端(はた)を楽にさせること。自分のためではない」と述べている。理容師歴80年。入院中もベッドの上で眠りながら髪を切るしぐさをしていたという。

 四六判、192ページ。価格は1,260円。

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