新橋「インドネシアラヤ」、50年の歴史に幕を閉じる-運営会社が明らかに

かつては店先にタクシーがずらりと並んだというインドネシアラヤ。新橋のランドマークがまた1つ消える。

かつては店先にタクシーがずらりと並んだというインドネシアラヤ。新橋のランドマークがまた1つ消える。

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 外食事業を手掛ける櫻家(港区新橋4)は、インドネシア料理店としては日本最古といわれている「インドネシアラヤ」(新橋4、TEL 03-3433-7005)が12月27日で閉店することを明らかにした。閉店後は来年度以降、同社運営で別業態になる予定。

 1957(昭和32)年にオープンした同店は、昨年1年間にわたる50周年記念イベントを行ったばかり。急な展開にショックを受ける常連客も少なくない。中には親子2代にわたって来店している客や、50年通い続けている客なども多く、閉店が惜しまれている。

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 櫻家によると、閉店理由は業績不振のため。新橋の繁華街から外れたオフィスエリアという立地や、昔に比べ外食の際の選択肢が増えたことなどから「土日を中心に夜の集客が難しく、残念ながら他業態へ転換せざるをえなかった」(同社広報担当者)。希望するスタッフは他店舗などにシフトしているという。

 同社が前経営者から引き継いだのは昨年10月。以降、1階が生花店、2階・3階が同店、4階・5階がオーナー住居という建物1棟すべてを同社が運営している。前経営者・秋間まど樺さん(45)はそこで生まれ育った。「1階の生花店を父が、インドネシアラヤを母が経営していた。家であり、遊び場であり、短大卒業後は職場だった」。

 戦時中、秋間さんの父(89)はインドネシアに赴いたのを機に、両国の橋渡し的活動に尽力した。その関係で母(故人)がインドネシア料理店を始めたという。「とにかくインドネシアが大好きだった。クーデターのときも現地に駆けつけたほど。戦争中、現地の人々にお世話になったのだと思う」と秋間さんは話す。当時の常連客には国家的要人も少なくなかった。

 店のインテリアは京都から取り寄せた竹を編んで漆を塗ったり、天井に手彫りの彫刻を施したりと、贅を尽くした。各階には会計やクロークがあり、価格も高かったという。「古くからの常連客によると、50年前と今と値段が変わっていないらしい」(秋間さん)。その店で秋間さんの母・中島敦子さんは看板だった。

 「母が店に立ち、父の客が来る。常連客の間で『ラヤ会』という同好会ができるほど母は客に支持されていた。よく酔った母を常連客が送り届けてくれた(笑)」(同)。店舗は最盛期で銀座や日比谷、新宿など4店舗に及んだ。店内のインドネシアの民芸品やインテリアの買い付けは父が担当。「二人はとても良いコンビ。私には真似できなかった」。

 店内の調度品の中には高価なものや50年前の貴重なものも少なくない。チラシを通して希望者を募り、数点は譲渡先が決まっているというが、行き先が決まらないものは「したくはないが処分するしかない」(櫻家広報担当者)。秋間さんは「新橋も変わり、引き際だった。でも私には閉店する勇気がなかった。それを肩代わりしてくれた櫻家さんに感謝している」と話す。

 今月26日と最終日の27日にはフードやドリンクを全品500円(一部セットを除く)で提供するファイナルイベントを予定しており、長い歴史へのはなむけとされる。

 営業時間は、26日まで=ランチ11時~15時、ディナー17時30分~23時、27日(最終日)=12時~22時。

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