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「牛を助けたい」-福島・浪江町の牧場長、新橋駅前で街頭演説

殺処分を迫られる福島の家畜を守ろうと人々に訴えるエム牧場の吉沢さん。学生時代は学生自治会の委員長などを歴任した運動家でもある

殺処分を迫られる福島の家畜を守ろうと人々に訴えるエム牧場の吉沢さん。学生時代は学生自治会の委員長などを歴任した運動家でもある

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 東関東大震災から5カ月となる8月10日・11日、福島県の「エム牧場 浪江農場」(双葉郡浪江町)牧場長が新橋駅前路上などで牛救済を人々に訴えかけた。

20キロ圏内で元気に過ごす「希望の牧場」の牛たち

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 牛の救済活動を行っているのは吉沢正巳さん(57)。吉沢さんは千葉県・四街道出身。実家が牧場を経営していたことから、東京農大畜産課へ進学。卒業後、牧場の規模を拡大するため、家族と共に浪江町に移住した。以来、順調に頭数を増やし、震災までに肉牛300頭を保有する牧場へと成長させた。

 エム牧場は福島第一原発から14キロ。4月22日に制定された法的に立ち入り禁止を命じることが可能な「警戒区域」(=20キロ圏内)に該当する。牧場のある浪江町は、3月14日の第一原発爆発後に吹いた南東の風の影響で、他の地域よりも線量が高い。帰宅できるめどは立っておらず、吉沢さんは近隣の二本松市で避難生活を送る。

 浪江町では震災翌日の12日、町の判断で全町民の避難を実施した。しかし「牛を置いて行けない」と吉沢さんは牧場に残った。「原発からは爆発音が聞こえ、双眼鏡で見ると白煙が立ち昇っていた」。その後の全身検査ではセシウム134が3100ベクレル、同137が3500ベクレルという高い数値が出たという。それでも「牛を見殺しにするわけにはいかない」と居残り、17日には1人東京へ向かい、1週間野宿しながら関係機関に陳述して歩いた。

 東京での街宣活動は7月に続く2度目。手書きの看板やチラシを携え、軽のワンボックスで福島県から自分で運転して来る。東京電力本社(千代田区)が近いことから、新橋エリアでの街宣活動を決めた。新橋では10日、SL広場(新橋2)の宝くじ売り場前の路上で2時間ほど街頭演説を実施。「頑張って」と声を掛ける男性や、寄付をする女性などの姿が見られた。翌11日には車で新橋や銀座、お台場、渋谷などを流し、車載スピーカーから呼び掛けた。

 畜主が避難した牛舎では多くの牛が餓死した。かろうじて生き残っても、被爆し商品価値のなくなった牛に対する国の方針は殺処分。圏外への持ち出しも禁じられているという。吉沢さんは「これまで牛たちに食べさせてもらってきたのに殺処分はできない。圏内で飼育し、被爆動物として経過観察すれば学術的にも貢献できるはず」と話す。「人々の未来のためにも、国の事業として被爆や除染方法の研究を続けるべき」。

 吉沢さんは現在、さまざまな機関や人々に働きかけ、同牧場を20キロ圏内で生き残る家畜のための「希望の牧場」とするよう尽力する。依然国からの認定は出ていないが、牛の世話に行くための許可は下りた。ソーラーパネルによる発電で牛たちに井戸水を飲ませることもできるようになった。餌代や世話などを共有することができれば、他牧場からの家畜も受け入れる。

 生産性のなくなった牧場だが、「牛を置いてきたことに苦しむ畜産家のためにも、モデルケースとして維持していきたい」と吉沢さん。同時に「土地の除染を研究し、また浪江町で牛を育てるのが目標」との思いも抱く。

 今後は月に2回程度のペースで新橋周辺を中心に活動を行う予定。

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