関東風おでん店「新橋お多幸」が移転-いすもテーブルもそのままに

新橋3丁目に移転した「新橋お多幸」。味のしっかりした関東風おでんはご飯にもよく合う。

新橋3丁目に移転した「新橋お多幸」。味のしっかりした関東風おでんはご飯にもよく合う。

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 1932年(昭和7年)から76年にわたり新橋1丁目で営業してきたおでん専門店「新橋お多幸」(TEL 03-3571-6865)が6月25日、旧店舗を閉店。今月8日、新橋3丁目のビル地下1階に移転再開した。

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 移転理由は建物の老朽化などに伴う土地所有者の都合によるもの。旧店舗は1920年代の建物で、地下1階地上3階、延べ床面積は120坪という昭和の風情が残る戸建ての物件だった。地下は倉庫、3階は休憩室として使用していたといい、同店3代目の店主・柿野幹成さんは「子どものころは毎晩、3階の部屋で両親が働く店の営業が終わるのを待っていた。時代の流れで仕方のないことだが、ずっとあの地で続けたかった」と旧店舗への思いを語る。

 「新橋お多幸」は、都内でも数少ない「関東炊き」タイプのおでん専門店。「コンビニなどの影響で関西風のおでんが台頭しており、関東の人でも『関東炊き』にはなじみが薄いことが多い」という。同店のおでんは、濃い口しょうゆ、砂糖、酒で調味する色の濃いおでん。「煮込みすぎるとあっという間に真っ黒になってしまう。サーブするころ合いが難しく、関西風よりも手間がかかるため、扱う店が少ない」(柿野さん)。

 初代店主は柿野さんの祖父で、銀座4丁目にあった「お多幸」で修業した後、新橋3丁目に店を構えた。その後、「お多幸」は多くの弟子にのれん分けし、各地に兄弟店がある。サラリーマンだった柿野さんも、2代目店主の父が病に伏したのをきっかけに名古屋の「お多幸」で修業。1年後の1992年、「新橋お多幸」に入社した。現在、店のスタッフは総勢17人。「いろいろな世代、層が集まる楽しい店にしたいから」と、スタッフの年齢も幅広くなるよう心がけているという。

 「祖父の代からのお客様もいる。新店舗もなるべく元の店の雰囲気を再現しようと思い、いすもテーブルもそのまま使っている」(柿野さん)という新店舗は63坪98席。「新橋で広い物件はなかなか見つからなかった」(同)。旧店舗の120席に比べると若干縮小されたが、常連の客らは「前とほとんど変わらない雰囲気でほっとする。家に帰って来たようだ」と喜んでいるという。地元の家族連れも多く、「新橋にはファミレスなど子連れで行ける店がほとんどなく、ありがたい」と重宝されているという。

 6月25日に旧店舗を閉店してからは、毎日研修やミーティング、勉強のための食べ歩きに費やした。8月1日を再開日に決めたのは、「おでん店にとって最も暇な時期だから」。少しずつ新店舗に慣れていきたいと、例年は休業するお盆も今年は営業を続ける。「お盆の新橋の人の動きも見てみたい」と柿野さん。移転を機に季節メニューの品数や更新も増やすなど、新店舗で気持ちを新たにしている。

 営業時間は16時30分~23時(土曜は22時まで)。日曜・祝日休業。夏の間は、家族連れに鈴虫をプレゼントしている。

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